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アーナンダマイー・マーの生涯と教え [本]

パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」に出てくる
アーナンダマイー・マーの本を読んでます。

アーナンダマイー・マー

「至福に浸る聖母」と呼ばれた女性がどんな風に育ち
聖者として人々に祝福を与えるようになったのか。

アーナンダマイー・マーの場合は何年も修行した末に
聖者になったというパターンではなく
すでに聖者としての性質を備えて生まれてきたようです。

内なる神の指示に従いマントラを唱えたり、その意思を
現実世界でも忠実に実行したことが描かれています。

旦那さんもおられて、のちにアーナンダマイー・マーの
お弟子さんになっています。

カルマについても記述がありました。
「人は種を蒔いたら、刈り取らねばならない」必ずしも一つの
人生で、とは限らないが、カルマはいつか、その人に追いつくことになる」
「起こることは何であれ、起こる運命だったのです」

でも、こうも書かれています。
「カルマの法則が考慮されるべき唯一の要因というわけではない。
それは、神がいかなる法にも拘束されないからだ。」

「神は恩寵を通して、誠実に、そして最高の信仰を持って神を
求める人のカルマの負債を、完全に拭い去ることができる。」

私はわりと運命論者ですが、神の恩寵は信じています。
そもそも、そのために生きているのでは?とも思います。

「何かに依存している幸福、それが人、お金、安楽など何であれ
長続きはしません・・・神だけが、永続する満足を与えてくれます」

本当にその通りですよね。
この何が起こるかわからない不確かな現実世界で
もし人が本当の平安を感じることができるとしたら
神のもと以外ないだろうと。

「人間は内面に、完璧への衝動を持っているため、
不完全な世界に失望する運命にある。
最初に人は、世俗的な喜びに引き付けられる。それは容易に
理解できるからだ。

しかし、人の本性は魂であり、魂は世俗的な糧には満足できない。
とはいえ、、魂の飢餓は、最初は見過ごされるものである。

世俗的な対象に失望して初めて、人は自覚をもって超世俗的な方向を
探求しはじめ、その結果、意識的にサーダナに取り掛かることになる。」

一般に、サーダナを成功させる最も重要な要素は、神を求める願望である。
我々は「心、精神、魂のすべてのすべてを尽くして」神を切望
しなければならない。
我々は難破に遭った水夫が岸を切望するように、神を求めねばならない」

サーダナとはスピリチュアルな修行の意味のようです。
「心、精神、魂のすべてのすべてを尽くして」の部分は
以前読んだ「ヒマラヤ聖者の生活探求」にも書かれていたように記憶してます。
それくらい自分の全存在をかけて内なる神を愛しなさいとありました。
自身の内なる神を愛して、祝福し、感謝することによりそれは真実になると。

神への熱望がキーワードになりそうですね。
アーナンダマイー・マーは神の御名を繰り返し唱えることを、
とりわけ重視していて、これをときどき「口を甘く保つこと」
と呼んでいたそうです。

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